アウンサン将軍の足跡

内容
1915 02 13 ビルマ中部、マグゥエ管区ナツマウの町に生まれる
1938 10 独立運動組織「われらビルマ人連盟」で反英運動を展開。
1939 08 15 ビルマ共産党結成、結党メンバー7人に加わり、初代書記長に就任
1940 バー・モウの「貧民等」と合流
3 アモイへ亡命
1941 6 讀賣新聞駐在員・南益世を名乗る人物がビルマに入国した。南益世の正体は、帝国陸軍参謀本部の鈴木敬司大佐(陸大41期)。入国の目的は現地の独立運動家と接触を図る為であった。
11 訪日、二重橋から宮城を遥拝、大本営等に挨拶後、駿台荘へ入る。
日比混血児に偽装したアウンサンとラミヤンの2人が羽田空港に降り立ったのである。鈴木大佐は出身地の浜松に2人を匿う
1941 12 16 南機関の支援を得てバンコクにビルマ独立義勇軍を創設
1942 3 ラングーン陥落
7 ラングーンから英国軍を駆逐、ビルマ独立義勇軍をビルマ防衛軍と改組
1943 3 日本に招かれ、旭日章を受章
8 1 バー・モウを首相とするビルマ国が誕生、国防相に就任
11 イギリス軍に「支援要請」の信書を送る
1944 8 1 独立1周年の演説でビルマの独立はまやかしだと発言
8 後半 ビルマ共産党・人民革命党と提携「反ファシスト組織」のリーダーとなる
1945 3 27 ビルマ国軍はビルマ全土で蜂起し、日本軍に襲いかかった。アウン・サンは、南機関に属したことのある日本軍将校の保護を命じた。「三十人の志士」の一人ボー・ミンは、日本への恩義に殉じたいとして、自決した
5 アウン・サンは連合国軍のルイス・マウントバッテン司令官と会談し、ビルマ国軍がビルマ愛国軍(Patriot Burmese Forces、 PBF)と改称した上で、連合国軍の指揮下に入ることで合意した。アウン・サン率いる愛国ビルマ軍は、イギリス軍指揮下のビルマ軍に合併された。
6 18 南機関解散、鈴木大佐近衛師団司令部へ転属が命じられる
10 英領ビルマ再建
1946 1 反ファシスト人民自由連盟(AFPFL)総裁に就任し、イギリス政府との交渉をはじめとする独立問題に専念、元南機関長鈴木敬司予備役少将が、戦後ビルマに連行され、BC級戦犯として裁判にかけられそうになった時、アウンサンは猛反対し、鈴木は釈放された。
9 英領ビルマ政府の行政参事会議長に任命され、国防と外務を担当
1947 2 12 パンロン協定締結(別途資料添付)・現在の連邦記念日
7 19 銃弾に倒れ6人の閣僚とともに暗殺される
1948 1 4 イギリス連邦を離脱して、ビルマ連邦として独立